観世音菩薩「正精進の有り方」

広島伝道会五壇合同開壇御聖訓

平成6年9月11日

   生を観ては世を憂い 
   老を観ては世を嘆く
   病を観ては世を悲しみ 
   死を観ては世を儚む   
吾乃

 観世音菩薩
命を奉りて、聖域に降れり。
天を禮拝し、諸賢人達と親しく接す。
 気天神超抜の慶ばしき日に私、金筆を執りて開壇聖訓を認めん。
 近日に見る當地区の発展結束に期待する處大なり。拠点壇、各壇主の誕生の喜びは隠し切れず。
 その想いを込めて、暫し訓文を綴らん。
哈哈 止

  
 苦有らば、楽有り。楽有らば、苦有り。浮世、紅塵に身を置き、楽を貪り、苦に悶える人間の欲は果し無く、苦を味わう事を承知の上で、楽の上に楽を重ねんとす。楽は苦の種。苦は楽の精算也。然し、人々は苦を除く事を望み、楽を得る事に執着する。是の世は忍土で有り、耐える為の修業場也。故に、必ず人生には影の如く、苦しみが付いて来る也。修行の目的は、苦に会うとも、それを剋服する強き魂を作る為也。
 本日は、如何にして苦楽の世を生き、自己の向上を計り、以て偉大なる救霊者と成る為の諭しを「正精進の有り方」と題して綴らん。
  
『正精進の有り方』

 正精進とは、八正道の中の一つである也。八正道とは、人間に備わりし五感を以て正しく物事を受け入れ又、正しい行動をする為の教え、八項目也。その中でも正精進は、直接徳禍に結び付く項目であり、八正道の結果が為されるもの也。正精進が正しければ、残りの七項目も正しいとされる。然し、見聞して思うは易くとも、実行に移すは難しき事也。
 人間の体内には、目に見えない感情と言う要素有り。又、理性、本性と言う要素有り。八正道の正非は、是の要素の動きに依りて決まる也。特に、人間に精進を為さしめる要素、それは何か。複合的であり、唯一是れであると限定出来ぬが、先ず向上心が挙げられる。
 是の向上心が、日日、人間に目標を与え、努力する為の働き掛けを促す也。然し、是の向上心は、常に禍を招き又、霊性を低下させる感情に絡まれたり。その感情は、例に取りて挙げれば、独占欲、地位欲、名誉欲、羨み心、是れ等の感情が、他人に負けじと言う気持ちを発生させる。そして、是れが強い執着となれば、向上心は修羅心と変ず。以て、自らの向上が一番で有り、競い争うを好み、以て霊性を低下させ、正精進の実行が不可となり、自らの為の精進となり行く。そして、一段と執着心が強くなれば、怒り、憎しみが生じ易くなり、貪求に陥り餓鬼心に轉ずなり。貪りても貪りても、満足を知らぬ心になる也。
 以上は、悪しき方向へと向上心が向かう場合の例であるが、良き方向に向わせる為には、他人との比較を目安にせず、自己がどれだけ努力したかを測るべし。それを基に自己採・をすべし。目安とした人に対して、感謝すべし。自らを向上させた人であると、認識すべし。そして、他人と自分とが共に努力できた事、向上した事を喜びとすべし。そして更に努力し、他人を良い意味で刺激し又、他人より刺激されて、自己と言う最大の敵と常に戦うべし。されば、自他共に進む故に向上有りと受け取り、七情六欲は消滅可能とならん。
 良き念を抱き向上せんとすれば、必ず霊性も向上す。又、是の向上心を良き方向に向けるなれば、向上心は佛心と変ず。その佛心に変ず為には、更に自他共の向上を目指す事也。逆に、自分よりも人の向上を喜ぶ事也。自己を向上さす、それが直接、人を救う事になる道也。正しい事を教え、困難に陥っている人を扶助し、諸々の布施を実行する事也。然れば、自らの心と他人の心が共に、佛心へと変じて行く也。
 然し、佛心に至りても、その次に様々な困難有り。それは、世の中には矛盾が沢山有り、疑問も沢山有り、正義が通らぬ事も有り、精進がその侭報われるとは限らず、生涯が有り、困難尽きず。是れで、佛心も色褪せて来る也。佛心を確かに得る為には、甘えは許されず。神佛の助けを強要してはならぬ也。向上心が、形や地位や結果より離れ、人間同志が喜び合う目的へと向く事也。それを通過せず路頭に迷い、天神、運命を恨むなれば、霊性は低下し、阿修羅心へと変ず也。

 そして、種々の困難上には、更に困難有り。神界に層が存在する様に、人々の心の中にも神界に帰すべき心の要素が存在する也。努力をしながら、常に正しく見て、正しく聞き、正しく思い、そして正しく忍び、正しく言い、以て正しく行動する。是れが、現世、三界に於いて試される也。
 更に向上すれば、厳しき試し有り。例えば、佛道熱心で禅定三昧の者でも、神佛は注意する。半眼を忘れる勿れ。即ち、周囲の人々の事を忘れて瞑想しても、佛道とは言い難いと言う事也。如何なる素晴らしき行でも、仕事でも、常に周囲に気を配らねば、佛道とは、佛心とは認められない。例え、徳高く偉大な神仙の地位を得ても、自らの徳に溺れれば悪魔と変ずなり。
 佛心は極めようとも、極め難し。是の佛心は、常に謙虚な心と自らを剋服する忍耐、そして活力、向上心、慈愛、そして大きな心、そして自身をも犠牲に出来る無償の愛が必要也。正精進を完成さす為には、更に更に努力が必要とされる也。
 それでは、道を為すに於いて、皆が簡単に実行出来る正精進を挙げる也。
 自己が罹病で、ある護摩木に願いを書く、是れ、精進也。そこで、自らと自分と同じ病い苦しみが消える様に祈願する、是れ、正精進也。又、是の護摩木にて、気天神も救われる様、祈願する、是れ、正精進也。更に、一人の力では不足故に、自らを含む全ての人々の為に、他人にも協力して貰い祈願し、そして同時に、全ての功徳が自分よりも協力者に与えられる様に祈る、是れ、正精進也。同じ一本の護摩木を供養する為にも、是れだけの違い有り。

 そして、是の簡単な正精進より、大きく尊い正精進に至る事を、神佛は願う也。神霊達にしても、どの様な思いの人間に協力するであろうか。勿論、全体の幸せを祈る人也。又、人、霊を問わず、自他共に成就せんと祈願する者なり。
 正精進を追求すれば、更に更に確かな正精進が見えて来る。その為にも、八正道を極め、自他共に救われる道を発見せねばならぬ也。

  
命に依りて、壇名を降す。
   広島伝道会拠点に  道広
   同 呉支部拠点に  道広増壇
   洋子に       法援
   サチ子、君枝に   法擎
   メイ子に      法授   以上。

 拠点壇、新壇主の誕生を心から祝うもの也。皆、縁有りて、同じ地にて尊き道行ずる也。
 本日の訓しは、更に各人の思いを一つにし、完全な協力体制を求むるもの也。一人の人間でも、十倍、二十倍の祈願が出来る也。又、一人で足らねば協力すれば、更に幾十倍、幾百倍もの祈願が出来る也。正精進とは、正しく見聞きし、以て正しく判断し、正しく悟り、そして大きな心で実行に移す事也。是の精神を今後の傳道に盛り込み、絶え間無く努力せば、必ず皆の目標は達成されん。
 観音、茲に筆を置き、皆との別れを惜しむ。
皇に辞叩し、天外理天に帰す。                            
哈哈 退