文殊菩薩「智之明道」

南九州準総壇五壇合同開壇御聖訓

 平成4年9月20日

  天理に従いて萬物は流転し
  極点を中心に星宿は周転す
  玄竅開かば竅々に精氣巡り
  中心を確立せば組織は整う   
吾乃

 文殊菩薩
命を奉領し、聖園に来壇す。 
天に禮叩し、諸賢達と親しく接す。   
 南端の地に設壇の慶事有るを聞き、本日茲に祝いの言葉を述べに来たり。世界状勢は戦鬼騒然とし緊迫の状況也。自然は狂い大洪水発生し、多くの死者出ずる也。是れ等三災八難避け難く、書の予言は着々と的中す。然れど、大北斗法の力にて恐怖の予言は平安の未来に変化しつつ有り。本日は智恵の神と称される私が、智を主題に訓文を展開し、皆に本當の智とは、一体何であるかを説いて行かん。   
哈哈 止

〜智之明道〜
 智者とは神佛の如く事を為せる人。智人とは、天運理数の定めを弁え、正道へと感化引導出来る人。然れば、人々は如何にして智者と成らんや。
  
『智言』
 智言とは、正しき言葉也。一言一句に魂を宿すなば、其の言は多くの人々に生きる活力と術を与え、又、傷付きたる心を癒やす也。思慮深く発する言葉を選択し、自らの口を神佛の道具と化し、法言を吐くなば、其の一言は妙言の如く人々に沁み、天に届く也。
 印度の道統の祖師の一人に、草を眼の前にした飢えたる馬に法を説き、馬は草を食べず。其の祖師の説法を泪して聴きたり。其の祖師は馬鳴尊者と称されたり。是の様に信念深ければ、畜生にも其の声は届く也。然し、己が情の動く侭に言動を発せば、其の言葉は凶器となり、他人の心を傷付け、又、人々の心を騒がす也。言の奥は深く、其の効力は聖なるものにも邪なるものにもなるなり。
 智言の範囲には智論あり。智論とは正しき言を以て、又広き視野に於いて論じ、大勢の人々と論じ、又大衆の前にて真理を説く也。是れは狭き範囲に止どまらず、広域に影響を及ぼす故に、聖き言を発すなれば其の徳は限り無く、逆に歪曲を論ずれば其の禍は大きい。
 そして智言の中に智話有り。智話とは人々の日常に於いて為されるものなり。他人を罵り、悪口雑言を発し、又、周囲に噂を流し、他人を傷付ける言は、是れ智言に非ず。智話とは、日常の生活を明るくし、消極な心に活力を、迫力を与え、又、絶望している人に夢や希望を与える也。智話は智言の要にして基本なり。智話、智論が良くなれば、人を導くに、又、人を教化するに大変化有りて智導、智教と成る也。智導とは正しき導き、又、智教とは正しき教え、是の二つは後に述べる智行の中にも入る也。
 智言の要は多くを語らず、要点を言いて相手に傳え、理解させる。僅か十分位で自己紹介が常に可能である。是れは智言の善例として憶えて置くと良し。

『智眼』
 智眼とは、正しく観る、広き視野で観察する等である。是の智眼の中には智読、智観有り。

 智読とは、自らに良いものを目にする、自らの心を清くするものを読む。又、単に読むのみに無く、正しく解釈する、大局的な理解をする。例えて言わば、聖訓の中の語句を読めたり、意味を知っている。是れは智読に非ず。神佛は一体何を傳えたいのか、其れを最も傳えて居る部分とは何處か。それが解釈出来、又、其れが本当に心底で分る。それが智読也。
 智観とは、自らの周囲にて発生する事に対して偏見、浅慮で観るのでは無く、平等に見て且つ根本原因を探究する様に観る事也。上辺の部分で判断する、私意感情で観て判断する。是れは智観に非ず、智眼に非ず、邪見也。
 是れ等の智眼の要素を良く肝に銘じ、色香に惑う事無く、又、欲情にて判断せず、常に物や物事の本質が見透す事の出来る人となるべし。そして、現状のみで判断せず、長き眼で見て行き、将来の状況を判断する。是れも智眼の中の大きな課題なり。

『智耳
』
 智耳とは、是れ正しく聴く事也。正しく聴くは人の言動に振り回されず、撹乱惑わされず、善悪を判別して聴く事也。又、雑音の中から一つの正しき言や妙言を聞き分ける力也。是の智耳にも智聞、智音、智律有り。

 智聞とは、日常の生活の中にて正しき言を聞き分ける力、又、善悪の判別を為す力也。
 智音は世間の噂や流行する言葉や絃曲等々の色に染まる事無く、人間の本質を守る事也。今、巷に於いてテレビ、ラジオが普及し、一般人、特に幼少年に悪しき影響が及ぶのも、是れ智音を実行していない証拠也。
 そして、智律、是れは正しき指導者の言を聴く事、正しき宗教家、哲学者の言葉を聞く事、現在、智律を発す宗教家も哲学者も政治家も存在せず。故に末世の法門に集い、神依りの智律を聴くが良し。

『智思
』
 人間は考え発想し、又、想い悩む唯一の生命体也。智思の在り方にて、人々の前途は大きく変化す。何も考えず生きる人、何かに興味を持ち、疑問を持ちて生きる人、是の二つの間に軈て大きな差が生ず也。

 智思の中には智考有り。智考とは探究する、追究する、深く追究する、又、様々な角度で見て考える。そして新たな発見が生ず。是の色は黒であると言われても、青系の黒と茶系の黒が存在すると考える者、非常に奥が深し。絶対の中には、必ず其れを覆すものあり。
 次、智察。広く見て流れを読み、現状のみに執われず、大局的な考えが出来る。是れを智察と言う。

『智想』
 自らの七情六欲に動かず、執着の念を拂拭し、良き想念にて日々を送る。悪しき想念は自らを苦しめ、又、想念とは言え生霊の如く、相手にも悪しき業を為さしめる。智想とは、自我を去りたる清らかな想念を保つ事也。


『智謀』
 人を陥れる策略に無く、又、企てに非ず。自他共に利を得て自他共に存する策なり。有名な軍師は戦わずを最善の策と説きたり。戦わず勝つ為に何をするのか、それが智謀の要也。


『智望』
 人は望む。豊かな暮し、地位、名誉、是れは智望に非ず。本當の望みは是れ自他共に幸福になる事、自らの内面が向上する事、皆が神に近づく事、是の大きな望みは、衆生済渡という大きな望みと化す。小我から大我への目覚め也。


『智行』
 功徳を立て、世の中に尽力する。眼で見て、耳で聞き、口で傳え、思い込んでも行動無くば、何も為した事にならず。今迄示した智言、智眼、智耳、智思、皆是れ根とすれば、今より示す智行は幹の如く也。智行とは正しく行う。人道を外れず、人々に潤いを与える行動也。

『智施』
 智施とは正しき施し也。正しき施しとは、無償の施しをする事。あの人にこれだけしたと後で想うなれば、それは智施に非ず。布施行の中には様々有り。然し、施しの根本は無償である事。太陽や自然の如く惜しみ無く、尽きる事無く与え続ける。是れが智施也。

『智蓄』
 人は何を蓄えるのか。財産を貯える。是れは本當の智蓄に非ず。徳を蓄える、又、忍耐力を蓄える。胆力を蓄える。是れが財産也。是れは永遠に残る也。智を以て為すなれば、全ての行動は皆正しくなる。智導、智教、智論、是の三つにて正しく人々を導き成全し得道さすなば、是れ智言、智眼、智思、智行、全てを完了したものとされる也。
 
本日、茲に新壇の號を命の許に降さん。
   三千子に法旬。     則雄、三千子に法蒔。 
   正美、真由美に法隨。  俊男、ミサキに法渠。
そして拠点天壇に道南。   以上

 本日は、智の在り方について説きたり。釈尊の説法に八正道が有るが、其れを更に根本的見解にて組み直したり。どの様にすれば正道を実践出来るのか、どの様に考えれば、人々は変われるのか。又、正見、正語には何があるのか、何が含まれるのか。それを正から智へ転換し、用いられたれば幸い也。
 吾、茲に筆を置く。
皇に辞叩し、天外理天に帰す。 

哈哈 退