教化菩薩「明日への道標」

中央伝道会五壇合同開壇御聖訓

 平成4年6月21日

   澆季之世 人心の退癈に神佛の嘆き多し
   風雨同舟 賢人の和を以て 済霊の天職を全うすべき時節也
   光彩陸離 光と影 善と悪の交わる様 古今依り続きたり 
   雲外蒼天 希望と救いは無限に有るを悟るべし   
吾乃 

 教化菩薩
命を奉領し、聖域に臨めり。
帝に禮拝し、賢人達と親しく接す。
 開壇の佳日を心から慶び、以て本日、「明日への道標」と題し、従来の訓示より分り易い表現を以て訓示す。
哈哈 止

  『忍土なる地球に生まれて』
 佛教に於いて、現世は忍土であると説かれています。忍土とは忍ぶ土であり、現世は元来、修業すべき場處であり、欲望の侭に奔走するべき處では無いと言う意味でありましょう。然し、普通、人々は少しでも楽をしたいと思うのです。苦しみの向うには、苦しみしか無いと思いがちです。然し、楽とはなんでしょうか。苦あるが故に楽があるのではないのでしょうか。若し是の世から悉く苦が消滅するなれば、楽と言う認識は無くなるのです。健康も同じく、病気と言う苦が影の様に有るが故に、健康の有難さや喜びが分かるのです。それに自分より他人が幸福に見えたり、羨しく思える時がありますが、実際のその人の立場に立つと、今の自分の方が依り幸福であると思うのが殆んどです。萬人の為に其れ其れの喜び、悲しみ、苦と楽は、望む、望まざるに拘わらず用意されており、しっかりと修業する様に創られています。聖人も愚人も均しく必ず修業出来る魂の訓練所、教室なのです。 
  
  
『己れに勝つ世にて』
 人間は是の世に生を受けて、一人前に言葉が話せる様になり、認識する力が付いて来た時、他人と競争する事を強いられます。それが子供の頃は勉学であり、運動であり、社会に出れば仕事の上で、出世の事で競争があります。そして、才能の有る人、運の有る人は調子よく進んで行きます。然し、其れが重要ではありません。最後に勝利する人は、己れに勝つ事の出来る人です。
 一つの教室に三十人の生徒が居ったとします。十名は優等生で、教師の講義が理解出来ます。別の十名は理解出来無いので、暴れたり外へ出てしまいます。残りの十名は、理解出来ないが忍耐強く座って居ます。さて是の三つの班で、最も出世したのは何でしょうか。
 それは理解出来なくても、座って居れた班であります。人生の中で忍耐強くすべき時機は誰にでも有るのです。ですから、協調性があり努力する人は、大きな歩みが無くても最後には良き人間関係と信頼度を得られます。年老いた人が同級生で出世している人は、成績がそこそこの人が多いと言うのも、学生時代の忍耐力の鍛練の成果かもしれません。

  
『終り無き輪廻の果てに』
 輪廻は何時終わるのか。是の様な事を考えた人は居りますか。輪廻は、人類や生命が絶滅した時に、いやでも終結しなければなりません。ですから罪深い人類は、滅亡したくても出来ないと言う理論が成立してしまいます。
 然し、滅亡寸前まで追い込まれると言う事は有るでしょう。それは今日に至る迄、幾度も同じ目に遭って居る事からも証明出来ます。人類は滅亡しません。是ははっきり言いましょう。又、人類が早く消滅する位、人類の業は軽くならねばなりません。地球の滅亡や人類の滅亡を恐れる以前に、一人一人が自らの心の滅亡を恐れるべきでありましょう。轉生と言う輪は、まだまだ壊れる事は無いでしょう。

  
『誰もが神に成りたい』
 神と人とは大きな境界で区別されており、神と人とは気の遠くなる位の徳の違いがあるのだろうと、皆考え勝ちです。神とは何でしょうか。大いなる権力を持ち、如何なるものもひれ伏して仕舞う存在。全智全能で不可能な事は無い、慈悲深く優しさに溢れた存在。其れ其れの印象を想像し、人間の苦や不可能を救うものであると思っている筈です。然し、神の上には神が有り、其の神の上にはまた神が有り、神は神を自己の尊称で拝して居ます。神が其の上の位の神に成るにはどうするでしょうか。
 例えば、気象を自在に操る神が、其れより上の位の神に成る為には、今迄の力を捨てなければなりません。其して、後輩や部下に其の権を渡すのです。是れで人間が神になる方法が見えた筈です。与える事です。物でも良い、気持ちでも良い、仕事でも良い、諭しでも良い、与える事です。其して、自らは其れ以上のものを得る為に努力する事です。得たら与える其の行動は、如何なる事にも通じます。執着して握った侭では次のものが握れません。其の両手で握れるものは限られています。ですから皆同じ事、与えて次を握りなさい。 
 
  
『三世の因果を知りなさい』
 幸せな人はどうして幸せになったのでしょうか。不幸な人は、何故、不幸になって仕舞ったのでしょうか。それは皆、三世の因果で決まって行くのです。今世の運命は、前世の結果としましょう。然し、寿命三十才の人が居るならば、来世の運命は既に三十年間の業でほぼ定まっています。そして、運と才能の話もしましょう。才能は前世でやっていた事が、今世の特技として受け継がれます。運とは、人に好かれる様に前世努力した人に付いて来ます。ですから才能が無くても、目上の引き立てや人気に依って代議士や芸能人に成る人が居ます。前世から意識せずに人気を集めていた分けです。
 然し、人間とは悲しいかな、前世も来世も信じ難い生き物であり、全ては才能であると、学歴や知識であると思って努力して、最後に運が無かったと言って来世の分の人気を得る事も無く死んで行くのです。そして、無欲に生き、人に施す人々が、来世、其の今世の評判を受け継いで、其れ其れの道で成功するのです。是れも又、与えれば与えられる、得たら与えよの法則に成って仕舞うのです。

  
『何故、今感謝の誠なのか』
 全国で感謝の誠の運動が展開される予定です。感謝の誠とは何なのか、皆良く認識して活動して貰いたいのです。是の活動は、世界各国、又、宗教さえも問わず、皆、一つに成って人類の業を掃除して行こうと言うものです。掃除の様な行動のみならず、人類に必要な運動を先頭に立って広めて行くものであります。自然環境の保護の為に、世界の平和の運動の為に感謝の誠を尽くして行くものであります。先ずは身近なものから、其して大きな希望へと、其の活動は止まる處を知らないものとすべきです。

 天命に依りて、新壇名を降す。
   穣、廣美に法繍。  
  俊二、久美に法縫。  
      和に法綴。
     喜恵に法綿。    
     好永に法便。      以上

 五壇の開壇の喜びを、神佛隠し難し。そして修に告ぐ。良き縁は勝手に来るものでは無い。其れは太宝であればある程、其の価値は分からぬもの。汝が前世築いたものが巡って来た事を汝自身が気付かぬとは、三世の因果の面白き處なり。良き便りが今、世に届けたのは前世の汝であり、差し出し人は汝であり、受け取り人も汝である。其れが本日の訓示の骨子なり。当地の者達よ、前世も来世も分からぬ。当然なり。然し、其れが是の忍土での厳しい修業である事を悟らねばならぬなり。     
 吾、茲に筆を置く。
皇に辞叩し、天外理天に帰す。
哈哈 退



    〈語句注釈〉  
  澆季之世…人情が薄く、風俗の乱れた末世のたとえ。
  風雨同舟…互いに助け合い、困難を乗り切ろうとすること。 
  光彩陸離…光が入り乱れ、まばゆいほどに美しいこと。
  雲外蒼天…絶望してはいけないということ。