金剛蔵菩薩「現世菩薩道」
岐阜準総壇九壇合同開壇御聖訓
平成8年7月14日
人の世は 苦しさのみが 多けれど
菩薩の道の 肥とならん
地に在りて 踏まれ踏まれて 強くなる
大願の根が 深ければこそ
吾乃
金剛蔵菩薩
命を奉りて、聖域に来臨す。
慈
に礼叩し諸賢等と親しく接す。本日、超抜儀式・開壇聖訓の佳き日において木筆を握り、慶びを述べ、以て教導の一端を示したし。
哈哈 止
一掌の雪の如くを嫌う勿れ。善行を為す者、誰しも皆からその行為を認めて貰いたく思う也。僅かな献金にて、それで果たして幾人の人々が救われるものかと思う也。善行をなせば必ず思念が影の如く生ずる也。誰にも認められ無い感謝され無い事など、最初からやっても無駄な事なのでは、と人々は思い易し。もっと金持ちになれば、力があれば、大きな善行が行なえるのに、と人々は思い易し。然れど、大いなる自然や太陽の恵み、是れが施される時に太陽や自然が人々に何を期待しているのであろうか。人々に認められ無い、自分は報われない善行が山程ありて、人々は生きていける。故に、例え僅かな善行であっても、一円の献金であっても、自らの力の為しうるを為さねば、菩薩の道とは言えず。敢えて一掌の雪の如く善行を為すべし。敢えて人々に踏みにじられる美しき花弁となるべし。その様な思いの輪を皆に悟らせ、自らも徹する、それが菩薩の道也。
救う事の意味の深さ、もう一つあり。それは自渡渡人、自らを渡し他人も渡すべし。それは他人を渡す事で自らも成長する、学びを得る、自らの愚かさに気付くと言う事也。救いは他人の為のみならず、回光として返ってくる也。
常に向上する気持を持つべし。菩薩の道の厳しさは、これで良いと言う事が無い。常に到達即目標也。菩薩の楽しさは極楽にて悠々とする事では無し。他霊が救われる事が自らの極楽の境地也。誰かに席を譲った、その時の心は皆どの様な状態であろうか。一つの喜悦に満たされている魂の本性が一呼吸した、その瞬間也。菩薩は目前に広がる極楽を楽しまず、自らの魂の喜悦と言う極楽に遊ぶ也。人に施す、その時の満足感は何の目標の達成にも代わる事無し。それは、魂の中心から酔いしれる如きの喜びと自らの思いより来る喜びとの違いとも言える也。人々は喜びは皆同じものだと思う。然し、喜び一つ一つに色がある也。助かって良かった、有り難う、目標を達成した、人を助けた、それ等全て色有り。その違いを自覚し、最良の喜悦に満たされる事、それが菩薩の道也。
菩薩に成り切ろうと努力もすべし。本當の菩薩に成る事は大変難しい。長き長き修業と無量の功徳を積み重ねて成れるもの也。然し、菩薩の如き業は、菩薩の如き人に為して貰う様な事は思う勿れ。例えば得道、是れを得られる資格は甚だ難関であった。死して古佛や菩薩になれる程の人物が選抜されて得られたもの也。今は、そうで無くても得道する事が出来る也。点傳師。点傳師も臨時の命である也。則ち、点傳師が是の世にいなければ得道さす事が出来無い。昔の様な厳しき枠を取り除き、菩薩到達の証しを与えられて居る也。
ならば一時一瞬、誰かが菩薩に成る事は不可能なのであろうか。汝等は既に与えられたり。然し、与えられるだけで応ずる事、答える事は出来ぬのであろうか。一生菩薩なれ、という事では無い。茲一番には、菩薩の如く変じて貰いたし。その業とは先にも触れた様に善行の大小を問わぬ事也。
智慧は心に潤いあれば生ず也。神佛の如き智慧が欲しい、菩薩の如き先見の明が欲しい、誰も想う事也。然し、自分の人生はこの様なものだ、世間とはこの様なものだと想う者、その様な見方をする者、決して妙智慧は生じ無い。自分の人生は、まだまだ捨てたものでは無い、世の中には沢山興味深い事、面白い事、自分よりも頑張っている人等々がある。その様に心が生き生きとする者、好奇心旺盛なる人、皆、頭の回転が早くなる也。そして発見、発明もする也。今迄気付かなかった事も気付く也。心が潤うなれば妙智慧は生ず。危機に陥っても諦めず、心も生きている人は必ず逆転的発想を生ず也。希望に満ちている人、生きる事に感謝する人、是の様な人々には智慧が生ず。人々を救う時、得道を勧める時、その様に生き生きと遂行すべし。凡ゆる事に気が付き、様々な智慧や悟りが生ず也。
天命により茲に新壇名を降す。
晃正、京子に 金一
忠彦、厚子に 金善
恵に 金発
美保に 金行
美紀に 金道
さやか、明美に 金堂
美和に 金現
里美に 金表
そして拠点壇を道美とする。 以上
開壇者達の一層の精進、そして道法の拠点責任者としての自覚を切に望む也。今回當地区の縁深き吾、金剛蔵菩薩の訓示、身近に実行出来る菩薩行と想う也。菩薩に成る為に修行をするので無く、菩薩に成り切る様に毎日を生きる。得ようとする気持ちは疲れて仕舞う。然し、自分の魂と心は菩薩なのだと言う自覚は疲れる事を知らず。則ち菩薩の位を得る者は、心も救済心も疲れる事を知らず。太陽の光の如く自然と放たれるもの也。
當地の諸賢達よ、新しき天壇の門出を心から祝うべし。そして、皆の意志が一つに結集し、金剛石の如く堅く不壊なるものと成る様に精進あらん事を望む。吾、茲に言葉を続けず放筆し、
慈
に辞叩し、天外理天に帰す。
晃正、京子に 金一
忠彦、厚子に 金善
恵に 金発
美保に 金行
美紀に 金道
さやか、明美に 金堂
美和に 金現
里美に 金表
そして拠点壇を道美とする。 以上
開壇者達の一層の精進、そして道法の拠点責任者としての自覚を切に望む也。今回當地区の縁深き吾、金剛蔵菩薩の訓示、身近に実行出来る菩薩行と想う也。菩薩に成る為に修行をするので無く、菩薩に成り切る様に毎日を生きる。得ようとする気持ちは疲れて仕舞う。然し、自分の魂と心は菩薩なのだと言う自覚は疲れる事を知らず。則ち菩薩の位を得る者は、心も救済心も疲れる事を知らず。太陽の光の如く自然と放たれるもの也。
當地の諸賢達よ、新しき天壇の門出を心から祝うべし。そして、皆の意志が一つに結集し、金剛石の如く堅く不壊なるものと成る様に精進あらん事を望む。吾、茲に言葉を続けず放筆し、
慈
哈哈 退